若者はいつも悩んでいる

最近の大学生の頭の中です

留学を「決断」してはいけない

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僕は留学に行きたかった。

1年生の頃はそれが夢だった。

 

留学に行って何か変えたかったし、

人生を変えるような素晴らしいものに出会えるのが留学だと思っていた。

 

もちろんそれに向けて努力はするつもりだった。

 

1年の秋は毎日かなりの英文を読みこみ、ネットで調べた自分に最もしっくりくる方法で独学で勉強した。

 

でも、どこか本気になりきれなかった。

 

 そして

結論から言うと、僕は留学するのを辞めた。

 

 

この記事では今日、僕が

 

留学を「決断」してはならない

 

ということをあなたになぜ伝えたかったのかが分かるように書いたつもりだ。

 

 

少しでも僕の思いが伝われば幸いだ。

 

ひとつひとつ書いていこう。

 

 

 

 

 

僕が留学を諦めた最大の理由、それは

 

「なんで留学行くの?」

 

に対する答えが、

自分が納得するものにならなかったからだった。

 

 

僕は、ドイツに留学するつもりだった。

 

理由は経済的なものだった。

ドイツの大学は学費がタダ同然のため、ありえないほど安い値段で学べる。

しかも英語で行われている授業も多い。

それが国をドイツに定めた理由だった。

 

国は決まっていた。

問題はそこで「なにを学ぶか」だった。

 

 留学に行く目的として最もメジャーな「英語が話せるようになるため」というのが僕は嫌だった。

 

というのも、英語が話せるようになりたければ大学じゃなく、語学学校に通えばいいし、

 

今の時代わざわざ大学に通わなくても、英語が学べる環境はいくらでもある、と思っていたらからだ。

 

それにあの言い草も嫌だった。

 

留学に行くのが一番手っ取り早いよね

 

当時に僕にとってこの「手っ取り早い」という言葉は「努力の放棄」、「環境の奴隷」を言い換えたものにしか聞こえなかった。

 

「英語を学ぶために留学」だけは絶対に嫌だった。

 

だから「英語を学ぶ」以外の目的を必死に探した。

 

考えた。

 

留学でしか、ドイツで留学することでしか得ることのできないもの。

日本の今の環境にいては絶対に学べないもの。

 

友人や親、また留学に批判的な社会人に

 

「なんのために留学にいったの?」と言われたときに、

 

「〇〇を学びたかったから。」と言って

 

(自分を含め、)誰もが納得する理由を探していた。

 

 

しかし、そこでしか学べないものは、なかなか見つからない。

 

「Internatinal Relation(国際関係論)は?」これはうちの大学の授業にだってあるし、わざわざドイツに行くほどでもない。

 

「Hospitalityは?」これがオースラリアの〇〇大学の方がいいし、ドイツのこの大学である必要はないし。。。。

 

散々調べたあげく、あるものを見つけた。

 

 

 

 

「Geopolitics:地政学

 

 

 

 

日本では戦後GHQによって、

大学で教授することが禁じられた学問dr

 

地理的性質と国際政治の観点から、紛争や戦争のメカニズムを考えたり、

リスクを分析したりする学問だと、友人が教えてくれた

 

 

「コレだ!!」と思った。

 

 

日本では学べないうえ、戦争には昔から興味がある。

それに日本と同じ第二次世界大戦敗戦国であるドイツで

地政学を学ぶことは、極めて有意義な気がした。

 

それにこれなら誰に

「何のために留学に行ったの?」と聞かれた時に、

 

「日本では絶対に学ぶことのできない地政学を学ぶためだよ」

 

と言える。

 

とことん突き詰めてやっと見つけた答え、

これこそが自分の留学に行く意味だと思った。

 

地政学

 

それこそが頭を抱え考えに考えた結果、

僕がたどり着いた答えだった

 

 

しかし、ここで話は終わらなかった

 

 

留学の目的「地政学」を見つけた興奮が少し冷め、冷静になったとき、ふと僕の頭にこんな考えがよぎった。

 

 

 

 


これって本当に俺が学びたいものなのか?

 

 

 

 

 

これってもしかして

 

 

 

 

 

 

 

論破されないために作った

他人のための答えなんじゃないか??

 

 

 

 

 

自分が納得できる理由を探していたはずが、いつのまにか、

 

他人に論破されないための、他人が納得できる理由探しに変わっていた。

 

 

あれだけ必死に、論理的に、突き詰めて考えたのに。

 

そして、それで合理的な結果は出たのに。

 

 

 

結局でてきたのは僕の答えじゃなかった

 

 

 

 

それから僕は、物事の目的を考えるのをやめた。

 

 

絶対的な目的なんてない。

 

 

そんなものいくら探したって出てこないと悟ったから。

 

 

そして僕の思考は

 

「絶対的な根拠(目的)を求める」

→「絶対的な根拠なんかない、それこそが絶対的な根拠」

 

という思考へ

知らず知らずのうちにシフトしていった。

 

 

ボランティアに行った。

 

「なんで?」と聞かれたら「したことなかったから」と答えた

 

 

ヒッチハイクした。

 

「なんで?」と聞かれたら「やったことなかったから」と答えた

 

 

東南アジアとインド2カ月旅した。

 

「目的は?」と聞かれたら「目的を作らないことが目的」と答えた。

 

 

 

僕は、人生の選択に根拠を求めることをやめた。

 

 

そして今年の夏も香川から青森への「ヒッチハイク➕野宿」旅を計画している

 

 

 

 

 

 

嘘だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

というより、昨日まではそのつもりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この本の一節に出会うまでは。

 

(すこしややこしいからゆっくり、噛み砕きながら読んでほしい)

 

 

絶対的な根拠を求め続けていて、到達できない....この無限に先延ばしされた状態を、「一点」に瞬間的に圧縮し、絶対的な無根拠への直面にしてしまう。

そして「絶対的な無根拠こそが、むしろ、絶対的な根拠なのだ」という逆転が起こる。

絶対的な根拠はないのだ、だから無根拠が絶対なのだ。

(中略)

実際的に言えば、これは要するに、「決めたんだから決めたんだ、決めたんだからそれに従うんだ」という形で、まあ「気合い」で、ただたんに決めるということです。

(中略)

このやり方では、何に決めてもいいことになるというのがポイントです。

決断では、たんに偶然的なもの、たまたま出会ったもので、何に決めてもいい。

比較検討を十分にやったかどうかは関係ありません。

(中略)

私は決断の瞬間において、無です。中身がカラッポなのです。

決断の前に自分が何者であるかは、決断には関係ない。

中身がカラッポの私が、なんでもいい任意の他者と出会い、その他者を絶対化する。(ここでの他者というのは他人ではなく、自分以外のもの全て「もの」「考え方」も含みます。)

たまたまある人の考え方に出会って、それ=他者に完全に乗っ取られる。決断とは、自分の決断の絶対化だが、それは他者への絶対服従である。

(中略)

こうしてアイロニー(この本の場合、批判的に根拠を求める姿勢を指す)はそもそも批判的になるはずなのに、決断主義に転化すると、無批判な生き方になってしまう

 

 

 

 恐ろしいほど、今の自分の価値観の変容を言い当てられた気がして、身震いがした。

 

もしかしてこれは、自分に向けて書かれた本なんじゃないかと錯覚するほど、的を射ていた。

 

僕は夏、目的のない旅をするのをやめる。

人生の選択において、無根拠を根拠とするのはもう金輪際やめにすることにした。

もう一度、自分と向き合おうと思う。

 

で、どうすればいいと書いているかというと

 

この本には、「決断ではなく、中断」と説いている。

 

中断とは、際限のない比較検討を、自分の享楽的なこだわりでストップをかけ、決定を仮固定することをいうそうだ。

 

もちろん二行で語れないほどの示唆がこの本には書かれているんだけれど

 

ニュアンスは伝わったかと思う。

 

「決断」してはいけない

 必要なのは「中断」である。

 

ピンと来る人もいるんじゃないか。

この言葉が、そんな人の、悩みの霧を吹き飛ばす一節でありますように。

 

 

そして、僕は過去の自分に言ってやりたい。

 

留学を「決断」してはいけない。

お前に必要なのは「中断」だと。

 

 

 

勉強の哲学 来たるべきバカのために

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